学校の池周辺に私たちは集合した。卒業アルバムに載せるための撮影があるからだ。自分たちのスマホでの撮り合いにもなるだろうが、こういう正式な撮影は何故か緊張してしまう。何気なく撮られる分には気楽だけれど、改まって撮影と言われると身体が固くなるのだ。
修学旅行、文化祭、アルバムには様々な写真が使われる。普段私たちはプライベートで何かと言っては写真を撮るけれど、集合写真のようなものは撮らない。ましてや、学校では。それでも後になってアルバムをめくり、たくさんの顔の中から親友を探したり、元気にしてるかなと振り返ったりするのだから写真って不思議だ。
ただ最近、友人が「撮ってて良かった!」と言っていたことがある。友人はスマホでペットの猫をよく撮っていたのだけれど、そのペットが脱走したのだ。2日たっても戻らなかった時、友人はスマホで撮った写真をプリントアウトし、「探しています!」のキャプションを付けて付近の家を回ったのだという。近くの動物病院へも足を運んだらしい。
次の日、友人の猫は帰ってきた。そして近所の何軒かから、「見ましたよ!」という連絡をもらったのだと喜んでいた。もし写真が1枚もなかったら、こんな風に探して歩くことは出来なかった。近所の家を歩いた時、意外にも「ああ、時々見かける猫だ」と知られていることも嬉しかったという。「いつも庭のあそこで日なたぼっこしてるんだけど、そう言えば最近は見ないわね」と言われたこともあったという。「家の猫が普段どんな生活をしているのか、少しだけ分かったような気がした」そう言って笑った。
これはペットのことだけれど、写真はやっぱり撮っておくべきだと私も思った。自分が時々眺めて楽しむためでも良いじゃない。何の役にも立たないかもしれないけど、それで十分じゃない。私のスマホアルバムの写真は増えていく。これは私のためだけの、大切なものなのだから。