その病院は地域医療の要だった。病院内は近隣市町村の人々でいつもごったがえしていたし、予約の時間が大幅にずれ込むこともしばしばだった。待合室の表示板には自分の番号が掲示されることになっている。現在診察中の番号、診察待ちの番号がズラリ。その番号がどの辺りにあるかで、だいたいの自分の診察時間の目安が付けられるのだ。
待つことを想定して、私は本を持参してきていた。けれども1行2行読んだところで集中が途切れてしまう。病院内のざわめきのせいなのか、自分の診察がまだであることへの不安からなのか、よくは分からない。私は本を閉じて、待合室を見るともなしに見る。車椅子に乗せられたご老人がゆっくりと私の前を通り過ぎていく。
医師にも色々あるだろうが、この病院の先生は少なくとも決まった時間に食事を摂ることは出来ない。診察待ちの人数を見れば容易に想像がつく。こうした外来の診療に加え、手術があればそれもこなしていくのだから、医師というのはやはり激務だ。自分の仕事を省みても、そこは断言出来る。私がいくら忙しくても、そこに人の健康や命は関わってはいない。でも医師は違う。この差は決定的だった。
彼らがどの程度の給料を得ているのか、私は知らない。でも私の上司は確定申告の時期が来ると領収書のチェックに忙しくしているし、私だって医療費の合計金額を確認することになるだろう。医師である彼らだって、そうする権利はあるはずだ。もし彼らが自分の出来る範囲でマンションか何かに投資をし、その結果収入を得ようと節税につなげようと、それは彼らの自由だ。私の知り合いだって、賃貸マンションを経営しながら相続税対策をやっている。その時診察中の表示が一瞬消え、私の番号が瞬いた。こんなに忙しくて、確定申告に行く時間があるのだろうか、そちらの方が気にかかる。