休日、長年愛用してきたバイクをピカピカに磨き上げた。就職が決まった時に通勤の足として買って以来、数年間私の仕事や生活を支えてくれたスクーターだった。コンビニやスーパーなどにちょっと出かけるのにも便利で、重宝したものだ。ローンで初めて中古車を買った際にも、使うつもりで手元に残しておいたのだが、車の便利さに押されてだんだん使用されなくなっていった。冷暖房を調整出来て雨風を気にしないで使える車の魅力に、自然にバイクを使う機会が少なくなっていったのだ。
車に乗るようになって半年くらいたった頃、そのスクーターをバイク買取専門店に売ることに決めたのだ。なるべく高く買ってくれるならそれにこしたことはないが、それよりも次に誰かに使ってもらえることの方が嬉しかった。私の手を離れても、どこかの誰かの生活の足となって可愛がってもらえたら嬉しい。バイクを磨き上げる前にラストランで走った時にはどこにも異常はなく、快調な走りを見せてくれた。しばらく乗ってもらえず、エンジンをかけてもらうこともなかったのに。
ピカピカに化粧したバイクで、もう一回りして来ようか?まだまだこんなに走れるのだという姿を、道行く皆に披露して来ようか?いや、立派に輝く姿のままで送り出してあげよう。もう間もなく、買取専門店の担当者がやって来るはずだ。バイクに跨がってタバコをくわえた時、このスクーターと過ごした思い出のいくつかが蘇ってきた。大雨の朝、雨合羽をまとった自分と大変な思いをして会社までたどり着いたこと。桜の季節にコーヒーを詰めたポットを持って、咲き誇る花の並木の下を走り抜けたこと。
あの時桜の余りの美しさに何枚か写真を撮った記憶があったから、スマートフォンの中にこいつが一緒に写っているものも残っているはずだ。こいつと過ごす最後の時は紅葉が美しい季節になってしまったが、こいつが手元を離れたとしてもその思い出が消えることはないだろう。社会人になってからの必死だった数年間を、こいつは確かに私と共に走り抜けたのだから。